日本「住みますアジア」海外プロジェクト-台湾での7年の旅が始まった「漫才ボンボン」 (漫才少爺)
日本で働く台湾人にインタビューする過程で、偶然台湾で奮闘する日本人のお笑いコンビと知り合う機会を得た。リアクション芸やコントであれば、外国人にも伝わりやすいかもしれないが、彼らは漫才という「喋り」だけで勝負するお笑い芸に、あえて海外で挑戦している。彼らはどうして挑戦の場に台湾を選んだのだろうか。
日本で働く台湾人にインタビューする過程で、偶然台湾で奮闘する日本人のお笑いコンビと知り合う機会を得た。リアクション芸やコントであれば、外国人にも伝わりやすいかもしれないが、彼らは漫才という「喋り」だけで勝負するお笑い芸に、あえて海外で挑戦している。彼らはどうして挑戦の場に台湾を選んだのだろうか。
少し前に台湾のエミー賞にあたる金鐘賞で大物芸人吳宗憲(ウーゾンシエン)が残したコメントが大きな波紋を呼んでいる。台湾の芸能文化が世界に進出する上での問題点を民衆に提起する形となったのだ。では、日本の取り組みに台湾の芸能発展が参考にできることはないだろうか。
多くの人が日本のドラマやアイドル、漫画やアニメを思い浮かべながら、日本の文化は華やかで、海外に進出していくことはそんなに難しくないと思うかもしれない。しかし、実際は海外への進出に頭を悩ませているのが現状だ。
日本政府は日本独自の文化(ファッション、食、アニメ、芸能等)を海外に広めることを目的に2013年「クールジャパン機構」を設立、そして2014年に吉本興業が中心となって運営している企業に投資をし、日本の芸能娯楽文化の国際化に尽力している。
吉本興業は日本で歴史が長く、所属するお笑い芸人が最も多い芸能事務所だ。劇場を経営したり、お笑い芸人の養成所まで運営している。今回の記事では、その吉本興業が推し進めている「住みますアジア」海外プロジェクトとして台湾で生活し活動する「漫才ボンボン」と、海外に日本の娯楽を広げるための問題点やその為に必要なことを話す機会を持つことが出来た。
◆「漫才ボンボン」と言うコンビについて教えてもらえますか?
僕達は2人とも先輩の紹介で出会い、結成することになりました。コンビ結成6年目です。2人とも元々会話の中から生まれる笑いが好きで、特に漫才は道具を使わずに2人だけで話し、笑いを取ります。そういうスタンスに幼いころに衝撃と感動を覚え、私たちは自分たちの芸人人生のスタート地点として「漫才」をやることに決めました。
(台湾にはいわゆる「漫才」がなく、最も近いのが「相聲(シャンシェン)」と呼ばれるものである。漫才はボケとツッコミに分かれているのが特徴であり、シャンシェンよりネタの時間も短い。)
「漫才ボンボン」のひとり、三木は大阪出身である。
三木:大阪では漫才が元からすごく流行っていて、小さいころから触れる機会が多く、漫才の番組も多かったため、漫才に対する興味は自然と湧いて来ました。本当にお笑い芸人になろうと決心をしたのは大学四年の時で、その当時親にはかなり反対されました。なぜなら僕はその時大学で21世紀アジア学部と言う学部にいて、漫才とは一切関係の無い世界にいたと言う事と、お笑い芸人として成功するのは元々容易ではないためです。しかしどうしてもお笑い養成所に入りたいという強い気持ちがあり、最後は両親も妥協してくれました。残念なことに、当時養成所に入ろうと僕を誘ってくれた友人が入学直前で突然あきらめてしまったんです。それでも僕はあきらめることなく、ひとりで自分の夢に立ち向かおうと決心しました。
もう一人のメンバー、太田は横浜の出身である。
太田:関東は関西のように漫才文化が根付いていませんでしたが、中学の時に「爆笑オンエアバトル」を観てお笑いという世界に強い衝撃を受けました。テレビで二人の人間がただただ雑談をしている、それだけなのにそれが笑いとなり、多くのお客さんを楽しませることができるんです。その時から自分の中でお笑い芸人になりたいと言う気持ちがあったんですが、本当に芸人になるとはまったく思っていませんでした。19歳の時、周りの友達が仕事を探すのに給料とか休暇とかそういうのをすごく気にしていて、それを見て自分は当時「仕事」として一番大事なのは、表面的な条件ではなくその内容だと思いました。その時、自分は「お笑い」なら一生大事にできる仕事だと思ったのです。父と母も自分の好きな仕事じゃなければ長続きしないという考えだったので、特に反対することもなく、20歳で吉本のNSCに入りました。
◆“二人の人間が道具を使わずに喋るというだけで、沢山の人を楽しませることができる”
これが漫才ボンボンをお笑いの世界に足を踏み入れさせた大きな理由でした。
もしかしたら皆さんは僕達の経歴を見てお笑い芸人になる事はそんなに難しくないと思ったかもしれません。でも、実際お笑い芸人を仕事として稼げている人は極僅かなんです。芸人養成所を出た後、劇場のライブに出てもほとんどお金はもらえないし、もらえたとしても100円にも満たないこともあります。だから生活するにはバイトするしかありません。その結果、ほとんどの人が養成所卒業から一年程度で芸人を辞めて、普通の仕事に就いていきます。
◆どうして台湾を選んだのか?
日本の娯楽文化は少し前までは台湾でかなり人気がありましたが、韓流が流行りだしてから、日本の娯楽文化は勢いを失っていきました。それが、日本を海外にアピールしていくことの重要さを日本に考えさせることになったのです。このような理由を背景に、去年の年末、吉本興業やSony Entertainment等を含めた7つの企業が共同で会社を設立しました。その目的は日本の娯楽文化を海外に広めること。そして、「住みますアジア」海外プロジェクトこそが、この会社にとって重要なプロジェクトなのです。吉本興業が数組の芸人を選出して、台湾・タイ・インドネシア等のアジア各地へ長期的に芸人を派遣し、日本の娯楽を現地化させて広めることが目的です。
漫才ボンボンが「台湾住みます芸人」に選ばれた理由は、三木さんが大学生の頃に中国語を専攻しており、一年間中国の哈爾濱(ハルピン)に留学していたためである。三木さん自身も中国語で「漫才」をやるというのはなかなか面白い挑戦になると考えた。それに対して、太田さんは全く中国語がわからなかったが、六年間のお笑い人生の中でとくに目立った活躍もなく、台湾に行くことが自分の人生に掛ける最後の賭けになると感じたからだそうだ。
◆日本MCIP「住みますアジア」海外プロジェクト、台湾での長期的な発展
吉本興業は芸能事務所である以外に、テレビや映画、ネット番組などを企画する部門もあり、台湾のテレビ局とも一緒に仕事をしている。
もし僕たちが中国語ができて、台湾で生活していれば、吉本の他の芸人が台湾に来た時に、僕たちにも出演のチャンスがあります。それか、日本の歌手や俳優が台湾に来た時にも、僕たちがMCをすることができるかもしれない。つまり、僕たちを長期的に台湾に派遣することで、将来的に吉本の海外での活動をよりスムーズにしていこうというわけです。
現段階でいえば、僕たちは主に言語交換で中国語を勉強しながら、台湾式のお笑い文化を研究しています。そして、facebookのファンページを運営したり、youtubeにネタ動画をアップしたりとSNSも利用しています。もちろん、小さいですけど、ライブ活動も行っています。これからの活動はいくつか方向性があって、ひとつは台湾のお笑い芸人ともっと交流しながら台湾と日本の文化の違いなどについてお笑い動画を作っていくこと、もうひとつは「漫才」という概念を広めていくことです。漫才を通して、僕たちが台湾で遭遇した困難や面白いことなどをもっと多くの人に知ってもらいたいです。僕たちが「台湾で生活している漫才師」として面白いことをやっていけると思うし、僕たちが愛してやまない漫才文化を台湾の皆さんに伝えられたらいいなと思っています。
◆台湾でお笑いをやる上での困難や日本との違いはありますか?
僕らにとって最も難しいことは、僕らが台湾の文化をまだ十分に知らないと言う事です。そもそも、お笑いというのは日常生活に深く関係しているので、台湾の人達が日常生活の中で持っている当たり前と言う感覚を僕達も理解していく必要があります。もちろん言語能力も大きな問題です。今のところ、僕達の中国語のレベルはまだまだです。なので、ライブで笑いが起こらなかった場合も、ネタが滑っているのか、それともお客さんに言語が通じていないからなのかすら分からない。これはかなり難しい問題だと思います。
それから、漫才の「笑いのツボ」自体にもかなり違いがあり、台湾では日本式の「漫才」がまだそれほど理解されていないというのもかなり大きな要因の一つだと思います。日本の漫才も長い時間をかけて進化してきたものなので、「ツッコミ」の形態もすでにだいぶ変わっています。もし台湾で完全に日本のスタイルを使ってしまうと、お客さんにも理解してもらえません。だから、今台湾でライブをするときには、先に少し説明するようにしています。じゃないと、お客さんは「何でいきなり日本人が二人出てきてしゃべり始めるんだ」って思っちゃいますからね。台湾では最初に「漫才が始まりますよ!」、ボケをやるなら、先に「この人がボケです」みたいに言ったほうが、理解してもらいやすくなります。
それから、台湾のお笑い芸人が違うところは、日本では「お笑い文化」というのは芸人の発想から始まっているのですが、台湾ではテレビでお笑い芸人がいる以外に、ネット上にも多くの「お笑い有名人」がいることです。ビデオや動画を作ったり、漫画を描く人もいて日本とは全然違っています。台湾ではfacebookがテレビよりも大きな影響力を持っていますが、日本ではSNSはそこまで流行していないのでこのような形で活動している人は多くありません。なので、台湾の多様なお笑い文化は僕たちに多くの刺激を与えてくれました。
◆台湾には多くの「お笑い有名人」がいる。これは日本にはない現象だ
台湾のこのような「お笑い有名人」はほんとにプロフェッショナルだと思います。彼らの作るビデオはどれもレベルが高く、日本ではこのような事は通常専門の人しかやりません。僕らもこういう作品を見ながら、台湾人がどういうものに興味を持つのかを学び、そこから方法を学んだりしています。例えば福山雅治さんが結婚することになった時、僕たちもビデオを作りました。でもクオリティはやはり、台湾の「お笑い有名人」が作ったものには及ばず、まだまだ頑張らなければなりません。それから、台湾の話題の範囲は本当に広くて、「鉄板ネタ」みたいなのがないので、これは日本では想像できないことですね。
◆台湾人が日本でお笑い芸人になれると思いますか?
台湾人が日本でお笑い芸人になるのはかなり難しいことだと思います。台湾人は実はすごく優しく友好的で、僕たちがライブで面白くなくても、何を言ってるか分からなかったり、文化の違いから理解できない部分があっても、お客さんは応援してくれますが、日本だったら面白くなかったら、お客さんは笑わないし、メンツを立てようともしません。
特に「漫才」芸人であれば、さらに難しいと思います。なぜなら漫才は基本的に言葉だけで笑わせる方法です。だから、日本人と同じくらいの言語レベルがなければ難しいでしょう。それに、台湾にはたくさんの面白いビデオがありますから、まずはこれらのビデオを日本語に訳してみて日本人の反応を見ることから始めるのも、いい始め方かもしれません。元々日本人には中国語の話し方は強い口調と言うイメージがあります。しかし、僕達は台湾の人の話し方に温和なイメージを持ちました。なので、その口調でツッコミをすると、日本人は違和感を覚えるかもしれません。これも台湾人が日本で芸人をやる上で克服しなくてはいけない部分だと思います。
インタビューをした日、私たちは吉本興業の東京本社を見学させていただいた。吉本の本社はとても特徴的で、オフィスは廃校となった小学校を改造したものだ。社員の多くはもともと「職員室」だった場所で仕事をしており、以前教室だった場所が今は会議室となっている。体育館はワーキングスペースとなっており、建物の真ん中には小さな広場があって、とても印象的な場所であった。
さらに、喜ばしい知らせが届いた。今回のインタビューを終えた後、漫才ボンボンの台湾でのテレビ番組のレギュラー出演が決まったそうだ。今後、彼らの更なる活躍が期待できそうだ。
(中文原文: 綜藝產業海外推廣計劃 日本搞笑藝人「漫才少爺」長駐台灣)
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